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野々口隆正「雄鶏図」from福山の美術

いまの展示は「福山の美術」です。


本年は福山城築城から400年となりました。

一国一城令が発布されて後にわざわざ建てられまして、

大規模なでっかいお城としては最後ということです。

たとえば岡山城が1597年でしたから

400年記念はもう25年も前に終わっていますね。


なぜ福山なのか、

という問いに美しく回答することは難しいのですが、

ひとり大変興味深い人物に出会いました。

野々口隆正(1792-1871)という国学者です。

なるべく簡単に紹介しましょう。


津和野(島根)藩士の今井秀馨の子として江戸の津和野藩邸に生まれます。

つまり江戸生まれの江戸育ちです。

まず儒学者の古賀精里に学び、

書画を増山雪斎に、

詩書を菊池五山に学びます。

(すごい人ばっかりです。)

長崎では吉尾権之介に洋学を、

清国人より中国書法を学んでいます。

また平田篤胤の門下ですので国学者でもあります。


国学というのは日本の事を学問としてやることで、

記紀万葉、すなわち古事記・日本書紀・万葉集といった

日本の古典から日本を考えていた人です。


父の死により野々口という姓に変更し、

また70歳ごろに大国主命の古跡を見つけたとして、

大国」姓を名乗るようになります。


福山へやってきたのは1848年に

第7代福山藩主の阿部正弘に招かれての事でした。

また藩校の誠之館でも皇学を講じます。

岡山では黒住教に招かれたり、

岡山藩の要請で講義を行ったりもしました。


野々口(大国)隆正は洋学・儒学・国学と幅広く学問を修め、

国学者あるいは神道家として高名になりますが、

注目したいのは、

詩書画に親しみ作家としても活動した面です。

野﨑家にもたびたび訪れており、

野﨑武左衛門との交流の跡が作品から見えてきました。

残念ながらまだ調査不足ゆえ、

そちらの解説は他日に譲らざるを得ません。

しかし作品件数は掛軸・巻物・額で約20件、

その他状態で約20件以上あるとみられ、

一人の作品としては際立って多いと言えます。

今回いくつか展示をしましたが、その中からひとつご紹介しましょう。



よのなかを

なにかなけかむ

くらき夜を

あかきにかへす

とりもありけり


七十翁 隆正 うつす

「隆正」三角形の印章


野々口隆正の作品は和歌が中心にあります。

それもそのはず、

和歌はやまとうた、日本の歌ですからね。

画と歌が一体となった本作で何を伝えているのでしょう。


世の中を何を嘆くことがあるだろう、いや嘆くほどの事はない(反語)。

真っ暗な夜を明るい朝に変える鳥がいる。


詩書画をたしなんだと言う通り、

画面は全体を通して大変味のある出来だと思います。

描かれた鶏は墨を基調としながらも、美しい彩りを持たせています。

引かれた線は素早くも精確で、特に尾の動きの妙、かすれもいい感じです。

フォルムは頭を下げ尾っぽがぐっと上がり、縦長のすらりとした姿態にぐっときます。

つぶらな瞳も好きです。


みなさんにとっても今の世は暗いでしょうか。

本作が描かれた1861年は幕末です。

江戸時代が終わり、やがて明治時代となります。

そもそも幕末とは何なのか、

幕末に生きた人々は幕末だと思っていたわけではありません。

歴史を後から見るから私たちはそれが末期なことを知っているだけです。

もともと江戸時代には幕府と朝廷という2つの権力があり、

外敵の存在によって日本は分裂した状態では国体を維持することが難しく、

徳川慶喜が大政奉還という英断に踏み切ったことで、

日本は天皇を中心とする王政に復古したわけです。

それで鎌倉時代以来つづいた武士が中心の世は終わりを迎えます。


260年という平和を謳歌した江戸時代、

一番危機を感じた瞬間は

ペリーがいかつい大砲をくっつけた軍艦の黒船でやってきたことかもしれません。

当時流行った狂歌に、


泰平の

ねむりをさます

上喜撰(じょうきせん:蒸気船)

たった四杯で

夜も眠れず

(上喜撰(宇治の高級茶)4杯はカフェイン効くから仕方ない?)


とあり、

たった4隻の蒸気船に偉そうな幕府がガタガタおびえているという、

これは幕府をあざける歌ではありますが、

この後欧米列強に日本は不平等条約を結ばされたり、

攘夷思想(鎖国大好き、敵国は打ち払え)も強くなり、

幕府は港湾警備を強化します。


野々口隆正は尊王攘夷派ではありますが、

鎖国に固執するのはやめて、

欧米と貿易をしてでも日本の富国強兵を目指し、

その上で対等に渡り合えるようにすべきだと独自の理論を展開しました。

現代の私たちには「独自性」なんて感じませんか。


はたして隆正は慰めに強がりを見せたのか、世界が明らかに見えていたのか、

わかりません。


前半に少し触れましたが、

野々口隆正と野﨑武左衛門は和歌で通じ合っていたのではないかと想像しています。

野﨑家に逗留しており、作品もあり、

いずれ、野﨑武左衛門の和歌と野々口隆正の交流の全貌を明らかにできるといい、

という願望だけ置いておきましょう。

 

福山の美術

福山城築城400年アニバーサリー!

令和4年 4月7日(木)~6月19日(日)

開館時間/9:00~16:30(17:00閉門)

休館日 /月曜日 5月2日(月)も休みです

場  所:旧野﨑家住宅 倉敷市児島味野1-11-19

展 示 数:24件

入館料等:大人/500円 小中学生/300円

※小中学生および高校生は、毎週土曜日・日曜日・祝日は無料です。

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